親へのカムアウト 〜3〜
ほんと、連日沢山の方にココに来ていただき、感謝します。
しかもコメントを頂き、ほんと嬉しいです。さらには【拍手】の数字にはビックリです!!
拍手コメントも頂いて、本当に沢山の人に読んでもらっているんだなって。
コメントも、公開されている拍手コメントもしっかり返事させていただきます。
本当に有り難うございますm(_ _)m
さて、あまりにも重い内容で読まれるのも大変かと思いますが、
今回の記事でカムアウトは終わりです。
良いことも悪いこともあったカムアウト。最後はどうしても家族の問題になりますよね。
今日はその家族の問題と、俺の問題を書いていけたらと思います。
もちろん時系列に沿って書いていますので、28歳の冬頃からの内容になります。
今回は今まで以上に長くなるかもしれませんが
最後までお付き合いください。
しかもコメントを頂き、ほんと嬉しいです。さらには【拍手】の数字にはビックリです!!
拍手コメントも頂いて、本当に沢山の人に読んでもらっているんだなって。
コメントも、公開されている拍手コメントもしっかり返事させていただきます。
本当に有り難うございますm(_ _)m
さて、あまりにも重い内容で読まれるのも大変かと思いますが、
今回の記事でカムアウトは終わりです。
良いことも悪いこともあったカムアウト。最後はどうしても家族の問題になりますよね。
今日はその家族の問題と、俺の問題を書いていけたらと思います。
もちろん時系列に沿って書いていますので、28歳の冬頃からの内容になります。
今回は今まで以上に長くなるかもしれませんが
最後までお付き合いください。
結婚をとにかくして欲しい・・・ そう願い続ける母親。
俺はどうすべきか迷っていた。
結婚をしたほうがいいのか、しないほうがいいのか。
結婚をすれば両親の願いが叶う。
今まで沢山の病気をしてきて、無作為にしたカムアウトのお陰で迷惑をかけて
町内の中で俺がゲイであることを知っている人は潜在的にいることを知った。
ただ、声に出して直接俺に言わないだけで、両親に向けて言われている。
友のおばさんが父に言ったように、そういうことはこれからも起きてくる。
この土地で生きるからには両親を、家族を守らないといけない。
だから、俺は結婚すべきなのかもしれない。
それが家族を守る一つの手段になるのであれば。。。
真剣にそれを考え、苦悩していた。
28歳、冬。
教室で仕事をして何時もどおり夜休憩のときに食事のため自宅に上がる階段に立つと
何時もの雰囲気と何かが違う・・・ そう思った俺は一気に階段を駆け上るとそこは吐瀉物の海。
何が起きたのか?? 俺は吐瀉物がある方へ足を進めると、その先には祖母が倒れている姿が。
頭が真っ白のなったがとにかく祖母の意識があるかを確認し、救急車を呼ぶ。
祖母は救急車で病院へ運ばれ、発見が早かったために命に別状は無いが小脳出血と診断された。
俺の連絡で数時間後に駆けつけた両親は「ありがとう」と声をかけてきた。
家族を守る
それはどういうことなのか。
俺は祖母の看病をしながら、家のことをしながら考えていた。
医師の言った【自分らしく】その言葉が胸の奥で響く。
だけど、その言葉が心に響きながらも俺は違うことを思っていた。
結婚はしない。それと同時に、恋人も作らない。
家族を守るには俺が平穏でいること。
俺が家族の前に立ち、世間からの攻撃を俺自身が受けること。
俺はそれを母親と姉に話し実行した。
それから俺は仕事に打ち込み、
ゲイ世界と関わるところは同い年のゲイ友だけになった。
それはそれで楽しい時間だったし、有意義でもあった。
だが、時が経つに連れて母親は俺に言ってくる。
「いい人は居ないの?」
その言葉に俺は「いい人は居ないよ。安心して(*^_^*)」と笑っていた。
だが、母親の顔は優れない。そしてこの話題なると次に決まって出てくる言葉は
「だったら結婚相手探しなさいよ。もうそろそろそういう人たちと遊ぶのも辞めて女の子と・・・ ね」
そんな俺の胸をえぐるような言葉だった。
家族を守ると決めて、結婚しないし恋人も作らないと宣言した俺。
それを判ったといってうなずいた母親。でも、結局はこの話を持ってくる。
母親は俺にやっぱり結婚して欲しいのだ。
29歳、夏。
俺の頭の中は爆発していた。
仕事も数ヶ月前に自営一本にして頑張り始め、家族のことを考えていたからだ。
家族が町内の矢面に立たないように町内に顔を出すようになり、
町内の話題から俺の話は出なくなっていた。
だが、答えの出ないトンネルに俺はいた。
トンネルから抜け出すためには???
そんな考えが頭の中に渦巻き、フラストレーションを貯めていく。
そしていつしかそのフラストレーションは爆発し、
一夜限りの関係しかないような相手を探すようになった。
そこで出会う人たちは色んな人がいた。
今まで遊んでいた同い年のゲイ友や飲み屋で会うひとたちとも少し違う何か。
事が終わった後に色んな話をした人もいる。家族のこと、仕事のこと。
中には既婚者もいてなんだか不思議な感じになった。
俺にとって初めての遊びは1年間続いた。
その中で大切にしたいなって思う人が現れた。
遊びの中で出会うなんてビックリだったが、
求めているときは現れないで、求めていないときに現れる。
出会いなんてそんなもなのかもしれない。
なんて考えていた。
でも、恋人は作らない。そう決めてここまで来ていて大切にしたいと思える人が現れた。
これはいいことなのか、悪いことなのか・・・。どう母親に言えばいいのか…
そう考えていた 30歳にまもなくなろうとしていた夏のある日。
とあるアーティストのライブへ行った帰り道、交流のあった元彼にメールをした。
次は一緒にライブ行けたらいけたらいいね、と。
この元彼は一人暮らしを辞める直前に付き合っていた人。
たった4ヶ月という短い期間だったけど、出会ってから好きになるまでが短くても
この人と一緒にいると楽しいし、自分の置かれている境遇を忘れさせてくれる。
病気のことは何も話していなかったけど、それでも楽しく過ごせる人だった。
その元彼が、このblogにもよく登場している【元彼】だったりする。
メールを送った翌日、元彼から衝撃的なメールをもらった。
それは【命にかかわる病気】を患って闘病生活をしているということ。
症状を聞くとどうやら本当に危険な状態。
俺はそのメールを仕事中にもらい、元彼にすぐさま電話した。
元彼は【大丈夫】と言い、電話口で笑っていた。でも俺は泣いていた。
一番信頼している薬剤師のゲイ友にその話をすると、仕事があるにもかかわらず俺のところへ来て
【Shinichiにしか出来ないことをしてあげようよ】と、なだめてくれた。
気持ちが落ち着いた時、俺は母親にそのことを告げた。
以前付き合っていた人が命に関わる病気で今苦しんでいる、と。
そしてその人は以前、両親が経営しているお店にも俺と一緒に行っていること。
別れてからはなんどか教室にも遊びに来ていて母親と会っていること。
付き合っていたときは本当に愛していたこと。
その人が今、生死の狭間で揺れていること。
母親は「そういう風に想える人が居たんだね。今、貴方がしてあげれることをしないさ」と、
俺に優しく話をしてくれた。
元彼が大変なとき、俺には大切にしたいという人がいて、連絡を取り合っていた。
遊びの中で知り合って、本気になってしまった相手。
その気持ちに気付いてから俺は今まで遊んでいた人たちと連絡を取らなくなった。
そして30歳の初秋、彼に付き合って欲しいと告白。
大切にしたい想いが膨れ上がり、彼を守りたいと思ったから。
体調がいいという元彼に会いに行ったとき、そのことを話すと頑張れと反対にエールをもらう。
俺も元彼に【元気になったらライブに行こうね!】と話をしていた。
母親には元彼は元気にしていたこと、薬が合って回復に向かっていること。
そして自分には【大切に想う人が出来た】ことを告げると
母親は「よかったね」と笑った。
だがその翌月、思わぬほうへ話は急展開した。
それは想いを告げた彼もまた、命にかかわる病気になったからだ。
俺はまた泣き、自分を見失うように壊れていった。
訳を知ったゲイ友は俺を励ましてくれた。女友達も大丈夫と励ましてくれた。
母親も壊れる俺を心配し母親なりの優しい言葉を掛けてくれるが
それはやはり「ノンケの道」を示すもので、俺は彼女に対して冷たい態度を取った。
初めて愛してくれた人は付き合って3ヵ月後に他界し
病気と闘っているときに愛し愛された人は生死をさまよう病気になり
家族との問題に揺れているときに出会った大切な人までも大病に。
俺は親の前で泣きながらそのことを叫び、
俺が愛した人は皆、死ぬか命を脅かす病になる。
そんな俺は【死神】だと言いながら母親の前で泣き崩れた。
母親は涙目で俺を抱きしめると
「ただの偶然よ・・・」と言ってくれたが、そんな偶然があってなるものかと俺は思い
母親の腕の中で
もう誰も愛さない 好きにならない 一生一人で居る
そう呟いた。すると母親は俺の肩を取り
「そんな寂しいことを言わないで!また誰かを好きになりなさい!
もっともっと恋をしてちょうだい!その相手が男性だろうと女性だろうと構わない。
Shinichiが愛する人が居て、それで幸せならもう何も望まないから」
と、俺の眼を観て言ってくれた。
そして大病を患ってしまった彼は、
俺との交際が出来ないと言うが俺はそれでも構わないと引かない態度を取った。
だが、それが彼の最後の優しさだと気付くと、俺は彼を遠くで見守ることを決意した。
30歳、秋 2007年10月のこと
それは俺にとって忘れられない出来事。
今でも俺は彼を遠くで見守っている。
近づくことはもう出来ない関係だけども、見守ると決意した。
そして-----
俺の大病の発覚。
6月中ごろから起きていた頭痛と眩暈。
その症状が10月終わりごろから頻繁に起きるようになる。
俺は念のためにと検査を受けることにした。
すると俺の脳に、病魔が巣食っているのが発覚した。
まだまだ小さな病巣。
俺は、癒えぬ恋の傷と病魔に心を蝕まれていった。
その事実を両親に話すべきかどうか。
俺は迷っていたが、結局話したのは「突発性の低血圧と眩暈」について話すことになった。
今までの俺の血圧は 上が125前後で 下が80前後だった。
それがこの時期より常に 上が90前後 下が80前後になっていたからだ。
実際に医師からも病巣との因果関係は判らないが 「突発性の低血圧」 と診断されていた。
だが月に何度も病院へ行き、検査をしていれば両親も気付くもの。
俺が何かを隠しているということ。
父親は一緒に観ていた脳外科のスペシャリストが特集されたTV番組を見て
「もしお前に何かあったときは、俺はこの人にお前を託すからな!」と言っていた。
何かいろいろとバレているのかなって思ったけど
「大丈夫。俺はこの人のお世話にはならないよw」と笑っておどけた。
年末も押し迫った12月。
再度検査をした結果が発表された。
病巣は確実に大きくなっているが、まだまだ普通よりは小さいとのこと。
治療も薬で散らせば改善されるといわれたが、その副作用が懸念された。
それは仕事が出来なくなる位の副作用。
俺は病巣がまだ小さいのであれば薬は使わない。
今はまだ、自分の治癒力を信じると。
だが、生きることへ絶望感を感じ落ち込んでいたのも事実。
前向きになんて物事を考えることさえ出来ないでいた。
信頼しているゲイ友には俺の病気のことをすべて話をした。
親には絶対に告げないでと約束をして。
両親の気持ちを考えれば本当は知りたいと思う。
でも、俺はもう言えないのだ。
対人接触恐怖症、記憶障害、ゲイ、これらを突きつけられて
心配の種がさらに増えて俺のことで悩ませるわけにはいけないから。
だからもし、俺に何かあったときはそのゲイ友が両親に何があったかを伝えて欲しいと。
もちろんゲイ友はそんな役割は嫌だといい、俺に生きろと泣いた。
2008年 1月。 30歳 冬。
一人の人に俺は出会う。
その人は常に前向きで、俺の話を真剣に聞いてくれて
いろんな話をして俺に元気を与えてくれた。
その元気は時間が経過するたびに生きる勇気に変わった。
もう一度 俺は生きたい。。。
2月。
俺が一番大変な時期を過ごした24歳冬から25歳冬の時期。
その頃一緒に同居してくれていたゲイ友が急死した。
それはなんとも悲しい出来事。
両親はその友達とも会っているし、知っている。
ただ、当時はゲイであることは知らなかった。
彼の通夜に行き、彼がなぜ命を自ら絶ったのか、理由を知った。
帰宅した翌日。両親はその原因を俺に聞いてきた。
俺は彼の話を両親にし、理由をちゃんと話した。すると両親は愕然とし、
母親は俺の部屋に入ってくると「Shinichiはそう感じることはあるの?」と聞いて来た。
俺は正直に 無関心と思ったこと は無いけども親に対しての負い目は感じていると伝えた。
母親は「貴方が幸せならそれでいいから」と俺を抱きしめる。
そして 2008年 3月。
初めて母親が経営する店へ仲の良いゲイ友を連れて行った。総勢10名
一番信頼しているゲイ友は彼氏を伴い。ずっと仲が良いカムアウト済みの女性1人を含めて。
そしてそのなかには本当の中学の頃の女性の同級生が一人。
ただし、俺には記憶がない。だが、俺がゲイであることを受け入れてくれた最近の地元人。
カムアウト済みの女性は母親のお店が5周年ということを知り、
お祝いの花かごを持ってきてくれた。母親は喜んだ。
そして母親と同じように厨房に入っていた俺に
「あの子と結婚しなさいよ」と真剣に言っていたが
俺は「あの子はもうすぐ結婚するだろうからダメ。それに俺は女性と結婚はしないよw」と言うと
母親は「そうね・・・」と一言呟き、手を動かした。
出すものも全て出し終わると、酔っ払った一番信頼しているゲイ友が母親となにやら話しをしていた。
話の内容はそのゲイ友が俺とがゲイとしての初めての友達で
出会ったことに感謝しているとのこと。
母親はそのゲイ友に息子がゲイであることの不安を話していた。
それはもちろん結婚のこと。涙目になっていた母親。
俺は今でもその表情と親心の言葉が脳裏から離れない。
やはり世間では結婚をして一人前とみる風潮があるから
それに習って結婚して欲しいと。
どんなに俺のことを受け入れようと頑張ってくれていても
幸せになってほしいと思ってくれていたとしても
やはり「結婚」は別のもらしい。
両親の思い。それは痛いほど判る。
でも、俺はもう決めたのだ。
家族を守ることは 【俺が俺らしく生きること】 だから。
今までしてきたことで見えたもの。
それが、 【俺が俺らしく生きること】
何かあれば家族を守る。
誰にも文句は言わせない。
誰にも家族を傷つけさせない。
俺は、俺らしく生きて家族を守ると決めた。
もしそれが家族を最終的に傷つけるとしたとしても
不安を残すものになったとしても、
それは俺が生きた証。
両親に見せるべきものは
幸せになって笑っている姿
どんな困難にも打ち勝つ姿勢
俺はもう、家族から逃げないと
決めたのだ
母親は、今も理解と不理解を行き来しています。
父親は、俺がゲイであることを知りながらも黙っています。
姉は、中立の立場で傍観しています。
祖母は、今は後遺症で障害認定を受けましたが元気です。
俺は、生きる勇気が沸いてきて、新たに恋をしていますw
桜が咲いたら逢いに行く。その約束を果たす日はもうすぐやってきます。
ただ、満開を過ぎて散りかけ?って感じの頃に会うことに。
病気は順調に回復傾向です。今も両親は本当の病名は知りません。
元彼は、今は完治して元気に仕事しています。4月終わりに約束していたライブへ行きます。
初秋の彼は、今も迷路の中にいます。手を差し伸べることが出来たら・・・ と思いながらも
今は遠くの場所から見守っています。
最近、両親の車を廃車にして俺が乗っていた車を譲りました。
俺は新車を購入し、新たに借金をこさえましたw
会社の経営はカツカツですw それを両親は知っています。
俺に負担をかけると言っていましたが、両親もカツカツですw
俺が乗っていた車を譲り渡す前、その車を洗車しました。
何も言っていないのに手伝ってくれた父親。
昔は笑顔で話せる相手じゃなかったけど、今はお互い笑いながら話せます。
俺が家族に出来ること。それは言葉では言い表せられないけど、あえて言うなら
思いやり
これだと思います。
俺の人生は正直、褒められるようなものではなく、けして胸を張れるものでもありません。
でも誰もが出来るような体験ではなく貴重な体験・経験をして生きてきました。
まだまだここには書けない事が沢山あります。表立って書けないものがあります。
でも、それら全てが俺の過去で、俺が生きてきた証でもあります。
その一部がカミングアウトに繋がっただけであり、
カミングアウトをして良かったと思うこともあれば
カミングアウトをして、しまったって思うこともありました。
後先考えずにカミングアウトしていた頃
自分に自信が無くてどうしようもくて誰かに愛されたくて
たったそれだけでカミングアウトしていた頃。
あれは正直、バカなことだと思います。
独りよがりのカミングアウトは結果、何時か自分へ跳ね返ってきます。
それはどんな跳ね返り方をしてくるかはわかりません。
でもいえることは、カミングアウトは自分ひとりの問題ではないということ。
ノンケの友達にカミングアウトするのであれば
それから起きる二次的カミングアウトも想定しなければいけません。
その町に家族と住み続けるのであれば、家族を守る覚悟を持ってください。
安易にカミングアウトすれば、どうなるか、もう判りますよね?
誰が信用できて、誰が信用できないか
それはしてみないとわからないことです。
去る人も居れば理解を示してくれる人もいる。
貴方の周りに居る人たちをよく見渡してください。
信頼に値する人たちですか?
今の世の中、ゲイとして活躍している芸能人が居ます。
その人たちはあのキャラで売れたわけではありません。
ちゃんと下積みがあり、得てきた信頼があります。
それを観ずに「気持ち悪い」といい放つ人は信頼ならない人でしょう。
あの場に立つ人たちはゲイだからこそ判るバッシングを受けてきたはずです。
自分らしく戦ってきている人。それがオネェキャラとして活躍している芸能人です。
ただ、俺はオネェキャラで出ている芸能人を良しとは思っていません。
ゲイ全てがオネェキャラかと言うと、そうではないからです。
イメージが付いてしまえば 「えっ お前もあんな感じで話してる?」 といわれるに違いありません。
ゲイはゲイで同じでしょうが、あれはあくまでもキャラですからw
自分らしく生きること
それをカムアウトする人にちゃんと【体言で説明】出来れば
カミングアウトはうまく行くと思います。
ただし、全員が受け入れてくれる問題ではないことを頭に入れておいてください。
友へカミングアウトを考えている人へ
どんな結果になろうとも、自分の生き方を曲げないでください。
貴方が貴方でいる限り、いつか報われる日が来るはずです。
地元友へカムアウトするならば、二次的カムアウトも視野に入れてください。
そして家族を守る覚悟をしてください。
家族へカミングアウトを考えている人へ
ゲイであることを告白するのはとても勇気のいることです。
親は受け入れようと頑張ってくれるかもしれません。
でも、子供の幸せを一番に考える人たちです。
ずっとずっと貴方を心配し続けます。
親の愛情が重荷になるかもしれません。
もしくは向き合ってくれないかもしれません。
だけど、貴方は逃げないでください。
カミングアウトをしたら絶対に逃げないでください。
どんなに辛い思いをしても、逃げないでください。
親を愛する気持ちを、忘れないでください。
皆さんの周りにゲイ友は居ますか?
信頼できるゲイ友は居ますか?
カミングアウトもしないから恋人だけ居ればいい。
ひっそりとゲイとして生きていくからゲイ友は極力要らない。
そう思っている人は居ませんか?
もしゲイとして生きていくのであれば
恋人だけでは寂しい想いをしていきますよ。
おせっかいかもしれませんが、ゲイ友を作ってください。
一人でもいい、二人でもいいです。
ゲイの世界は友達が作りにくいといいますが、そんなことありません。
ノンケの世界と違って多種多様な友達が出来ます。
人は支えあって生きている生き物です。
だから、恋人以外にも、友達を作ってくださいね。
友達は、何時か貴方を助けてくれる存在になるはずです。
自分らしさをどう表現したらいいか判らないという人は
まずは自分と向き合ってみてください。
俺が心療内科に通っていた頃、教えてもらったのは自分との向き合い方でした。
自分に手紙を書き、日を置いてからその手紙に返事を書く。
その繰り返しで【自分】が見えてきます。
知らなかった自分を発見できる手立てになります。
長所や短所を言えるから自分を知っていることにはなりません。
自分が一番何を大切にしているか、自分の心にある優しさはどこから来るのか。
喜怒哀楽をどう表現しているのか、そして自分の性格。
それは自分にしかわからないこと。
自分らしさは、自分磨きではなく、己を知ること。
俺はカミングアウトをして本当に多くのことを学びました。
それはかけがえの無いもので、人生のプラスになりました。
ゲイとして生きることで素晴らしい友達に出会え、
互いを必要として認め合える間柄になりました。
人を愛することの素晴らしさと悲しさ、儚さを知りました。
そしてなにより、家族の愛情を知る切っ掛けになりました。
俺はカミングウアウト推奨派ではありません。
いろいろな人の考えをきき、自分で調べ、関連書を読み、
ご自分の考えをまとめてください。
それから、カミングアウトをすると決めたら、してください。
全ては自己責任。
独りよがりなカミングアウトをしないで
しっかり考えてくださいね。
これでカミングアウトの記事は終わりです。
読み進めてくださった皆様、本当に有り難うございました。
これからもcocoronagomuをよろしくおねがいします。
Shinichi
俺はどうすべきか迷っていた。
結婚をしたほうがいいのか、しないほうがいいのか。
結婚をすれば両親の願いが叶う。
今まで沢山の病気をしてきて、無作為にしたカムアウトのお陰で迷惑をかけて
町内の中で俺がゲイであることを知っている人は潜在的にいることを知った。
ただ、声に出して直接俺に言わないだけで、両親に向けて言われている。
友のおばさんが父に言ったように、そういうことはこれからも起きてくる。
この土地で生きるからには両親を、家族を守らないといけない。
だから、俺は結婚すべきなのかもしれない。
それが家族を守る一つの手段になるのであれば。。。
真剣にそれを考え、苦悩していた。
28歳、冬。
教室で仕事をして何時もどおり夜休憩のときに食事のため自宅に上がる階段に立つと
何時もの雰囲気と何かが違う・・・ そう思った俺は一気に階段を駆け上るとそこは吐瀉物の海。
何が起きたのか?? 俺は吐瀉物がある方へ足を進めると、その先には祖母が倒れている姿が。
頭が真っ白のなったがとにかく祖母の意識があるかを確認し、救急車を呼ぶ。
祖母は救急車で病院へ運ばれ、発見が早かったために命に別状は無いが小脳出血と診断された。
俺の連絡で数時間後に駆けつけた両親は「ありがとう」と声をかけてきた。
家族を守る
それはどういうことなのか。
俺は祖母の看病をしながら、家のことをしながら考えていた。
医師の言った【自分らしく】その言葉が胸の奥で響く。
だけど、その言葉が心に響きながらも俺は違うことを思っていた。
結婚はしない。それと同時に、恋人も作らない。
家族を守るには俺が平穏でいること。
俺が家族の前に立ち、世間からの攻撃を俺自身が受けること。
俺はそれを母親と姉に話し実行した。
それから俺は仕事に打ち込み、
ゲイ世界と関わるところは同い年のゲイ友だけになった。
それはそれで楽しい時間だったし、有意義でもあった。
だが、時が経つに連れて母親は俺に言ってくる。
「いい人は居ないの?」
その言葉に俺は「いい人は居ないよ。安心して(*^_^*)」と笑っていた。
だが、母親の顔は優れない。そしてこの話題なると次に決まって出てくる言葉は
「だったら結婚相手探しなさいよ。もうそろそろそういう人たちと遊ぶのも辞めて女の子と・・・ ね」
そんな俺の胸をえぐるような言葉だった。
家族を守ると決めて、結婚しないし恋人も作らないと宣言した俺。
それを判ったといってうなずいた母親。でも、結局はこの話を持ってくる。
母親は俺にやっぱり結婚して欲しいのだ。
29歳、夏。
俺の頭の中は爆発していた。
仕事も数ヶ月前に自営一本にして頑張り始め、家族のことを考えていたからだ。
家族が町内の矢面に立たないように町内に顔を出すようになり、
町内の話題から俺の話は出なくなっていた。
だが、答えの出ないトンネルに俺はいた。
トンネルから抜け出すためには???
そんな考えが頭の中に渦巻き、フラストレーションを貯めていく。
そしていつしかそのフラストレーションは爆発し、
一夜限りの関係しかないような相手を探すようになった。
そこで出会う人たちは色んな人がいた。
今まで遊んでいた同い年のゲイ友や飲み屋で会うひとたちとも少し違う何か。
事が終わった後に色んな話をした人もいる。家族のこと、仕事のこと。
中には既婚者もいてなんだか不思議な感じになった。
俺にとって初めての遊びは1年間続いた。
その中で大切にしたいなって思う人が現れた。
遊びの中で出会うなんてビックリだったが、
求めているときは現れないで、求めていないときに現れる。
出会いなんてそんなもなのかもしれない。
なんて考えていた。
でも、恋人は作らない。そう決めてここまで来ていて大切にしたいと思える人が現れた。
これはいいことなのか、悪いことなのか・・・。どう母親に言えばいいのか…
そう考えていた 30歳にまもなくなろうとしていた夏のある日。
とあるアーティストのライブへ行った帰り道、交流のあった元彼にメールをした。
次は一緒にライブ行けたらいけたらいいね、と。
この元彼は一人暮らしを辞める直前に付き合っていた人。
たった4ヶ月という短い期間だったけど、出会ってから好きになるまでが短くても
この人と一緒にいると楽しいし、自分の置かれている境遇を忘れさせてくれる。
病気のことは何も話していなかったけど、それでも楽しく過ごせる人だった。
その元彼が、このblogにもよく登場している【元彼】だったりする。
メールを送った翌日、元彼から衝撃的なメールをもらった。
それは【命にかかわる病気】を患って闘病生活をしているということ。
症状を聞くとどうやら本当に危険な状態。
俺はそのメールを仕事中にもらい、元彼にすぐさま電話した。
元彼は【大丈夫】と言い、電話口で笑っていた。でも俺は泣いていた。
一番信頼している薬剤師のゲイ友にその話をすると、仕事があるにもかかわらず俺のところへ来て
【Shinichiにしか出来ないことをしてあげようよ】と、なだめてくれた。
気持ちが落ち着いた時、俺は母親にそのことを告げた。
以前付き合っていた人が命に関わる病気で今苦しんでいる、と。
そしてその人は以前、両親が経営しているお店にも俺と一緒に行っていること。
別れてからはなんどか教室にも遊びに来ていて母親と会っていること。
付き合っていたときは本当に愛していたこと。
その人が今、生死の狭間で揺れていること。
母親は「そういう風に想える人が居たんだね。今、貴方がしてあげれることをしないさ」と、
俺に優しく話をしてくれた。
元彼が大変なとき、俺には大切にしたいという人がいて、連絡を取り合っていた。
遊びの中で知り合って、本気になってしまった相手。
その気持ちに気付いてから俺は今まで遊んでいた人たちと連絡を取らなくなった。
そして30歳の初秋、彼に付き合って欲しいと告白。
大切にしたい想いが膨れ上がり、彼を守りたいと思ったから。
体調がいいという元彼に会いに行ったとき、そのことを話すと頑張れと反対にエールをもらう。
俺も元彼に【元気になったらライブに行こうね!】と話をしていた。
母親には元彼は元気にしていたこと、薬が合って回復に向かっていること。
そして自分には【大切に想う人が出来た】ことを告げると
母親は「よかったね」と笑った。
だがその翌月、思わぬほうへ話は急展開した。
それは想いを告げた彼もまた、命にかかわる病気になったからだ。
俺はまた泣き、自分を見失うように壊れていった。
訳を知ったゲイ友は俺を励ましてくれた。女友達も大丈夫と励ましてくれた。
母親も壊れる俺を心配し母親なりの優しい言葉を掛けてくれるが
それはやはり「ノンケの道」を示すもので、俺は彼女に対して冷たい態度を取った。
初めて愛してくれた人は付き合って3ヵ月後に他界し
病気と闘っているときに愛し愛された人は生死をさまよう病気になり
家族との問題に揺れているときに出会った大切な人までも大病に。
俺は親の前で泣きながらそのことを叫び、
俺が愛した人は皆、死ぬか命を脅かす病になる。
そんな俺は【死神】だと言いながら母親の前で泣き崩れた。
母親は涙目で俺を抱きしめると
「ただの偶然よ・・・」と言ってくれたが、そんな偶然があってなるものかと俺は思い
母親の腕の中で
もう誰も愛さない 好きにならない 一生一人で居る
そう呟いた。すると母親は俺の肩を取り
「そんな寂しいことを言わないで!また誰かを好きになりなさい!
もっともっと恋をしてちょうだい!その相手が男性だろうと女性だろうと構わない。
Shinichiが愛する人が居て、それで幸せならもう何も望まないから」
と、俺の眼を観て言ってくれた。
そして大病を患ってしまった彼は、
俺との交際が出来ないと言うが俺はそれでも構わないと引かない態度を取った。
だが、それが彼の最後の優しさだと気付くと、俺は彼を遠くで見守ることを決意した。
30歳、秋 2007年10月のこと
それは俺にとって忘れられない出来事。
今でも俺は彼を遠くで見守っている。
近づくことはもう出来ない関係だけども、見守ると決意した。
そして-----
俺の大病の発覚。
6月中ごろから起きていた頭痛と眩暈。
その症状が10月終わりごろから頻繁に起きるようになる。
俺は念のためにと検査を受けることにした。
すると俺の脳に、病魔が巣食っているのが発覚した。
まだまだ小さな病巣。
俺は、癒えぬ恋の傷と病魔に心を蝕まれていった。
その事実を両親に話すべきかどうか。
俺は迷っていたが、結局話したのは「突発性の低血圧と眩暈」について話すことになった。
今までの俺の血圧は 上が125前後で 下が80前後だった。
それがこの時期より常に 上が90前後 下が80前後になっていたからだ。
実際に医師からも病巣との因果関係は判らないが 「突発性の低血圧」 と診断されていた。
だが月に何度も病院へ行き、検査をしていれば両親も気付くもの。
俺が何かを隠しているということ。
父親は一緒に観ていた脳外科のスペシャリストが特集されたTV番組を見て
「もしお前に何かあったときは、俺はこの人にお前を託すからな!」と言っていた。
何かいろいろとバレているのかなって思ったけど
「大丈夫。俺はこの人のお世話にはならないよw」と笑っておどけた。
年末も押し迫った12月。
再度検査をした結果が発表された。
病巣は確実に大きくなっているが、まだまだ普通よりは小さいとのこと。
治療も薬で散らせば改善されるといわれたが、その副作用が懸念された。
それは仕事が出来なくなる位の副作用。
俺は病巣がまだ小さいのであれば薬は使わない。
今はまだ、自分の治癒力を信じると。
だが、生きることへ絶望感を感じ落ち込んでいたのも事実。
前向きになんて物事を考えることさえ出来ないでいた。
信頼しているゲイ友には俺の病気のことをすべて話をした。
親には絶対に告げないでと約束をして。
両親の気持ちを考えれば本当は知りたいと思う。
でも、俺はもう言えないのだ。
対人接触恐怖症、記憶障害、ゲイ、これらを突きつけられて
心配の種がさらに増えて俺のことで悩ませるわけにはいけないから。
だからもし、俺に何かあったときはそのゲイ友が両親に何があったかを伝えて欲しいと。
もちろんゲイ友はそんな役割は嫌だといい、俺に生きろと泣いた。
2008年 1月。 30歳 冬。
一人の人に俺は出会う。
その人は常に前向きで、俺の話を真剣に聞いてくれて
いろんな話をして俺に元気を与えてくれた。
その元気は時間が経過するたびに生きる勇気に変わった。
もう一度 俺は生きたい。。。
2月。
俺が一番大変な時期を過ごした24歳冬から25歳冬の時期。
その頃一緒に同居してくれていたゲイ友が急死した。
それはなんとも悲しい出来事。
両親はその友達とも会っているし、知っている。
ただ、当時はゲイであることは知らなかった。
彼の通夜に行き、彼がなぜ命を自ら絶ったのか、理由を知った。
帰宅した翌日。両親はその原因を俺に聞いてきた。
俺は彼の話を両親にし、理由をちゃんと話した。すると両親は愕然とし、
母親は俺の部屋に入ってくると「Shinichiはそう感じることはあるの?」と聞いて来た。
俺は正直に 無関心と思ったこと は無いけども親に対しての負い目は感じていると伝えた。
母親は「貴方が幸せならそれでいいから」と俺を抱きしめる。
そして 2008年 3月。
初めて母親が経営する店へ仲の良いゲイ友を連れて行った。総勢10名
一番信頼しているゲイ友は彼氏を伴い。ずっと仲が良いカムアウト済みの女性1人を含めて。
そしてそのなかには本当の中学の頃の女性の同級生が一人。
ただし、俺には記憶がない。だが、俺がゲイであることを受け入れてくれた最近の地元人。
カムアウト済みの女性は母親のお店が5周年ということを知り、
お祝いの花かごを持ってきてくれた。母親は喜んだ。
そして母親と同じように厨房に入っていた俺に
「あの子と結婚しなさいよ」と真剣に言っていたが
俺は「あの子はもうすぐ結婚するだろうからダメ。それに俺は女性と結婚はしないよw」と言うと
母親は「そうね・・・」と一言呟き、手を動かした。
出すものも全て出し終わると、酔っ払った一番信頼しているゲイ友が母親となにやら話しをしていた。
話の内容はそのゲイ友が俺とがゲイとしての初めての友達で
出会ったことに感謝しているとのこと。
母親はそのゲイ友に息子がゲイであることの不安を話していた。
それはもちろん結婚のこと。涙目になっていた母親。
俺は今でもその表情と親心の言葉が脳裏から離れない。
やはり世間では結婚をして一人前とみる風潮があるから
それに習って結婚して欲しいと。
どんなに俺のことを受け入れようと頑張ってくれていても
幸せになってほしいと思ってくれていたとしても
やはり「結婚」は別のもらしい。
両親の思い。それは痛いほど判る。
でも、俺はもう決めたのだ。
家族を守ることは 【俺が俺らしく生きること】 だから。
今までしてきたことで見えたもの。
それが、 【俺が俺らしく生きること】
何かあれば家族を守る。
誰にも文句は言わせない。
誰にも家族を傷つけさせない。
俺は、俺らしく生きて家族を守ると決めた。
もしそれが家族を最終的に傷つけるとしたとしても
不安を残すものになったとしても、
それは俺が生きた証。
両親に見せるべきものは
幸せになって笑っている姿
どんな困難にも打ち勝つ姿勢
俺はもう、家族から逃げないと
決めたのだ
母親は、今も理解と不理解を行き来しています。
父親は、俺がゲイであることを知りながらも黙っています。
姉は、中立の立場で傍観しています。
祖母は、今は後遺症で障害認定を受けましたが元気です。
俺は、生きる勇気が沸いてきて、新たに恋をしていますw
桜が咲いたら逢いに行く。その約束を果たす日はもうすぐやってきます。
ただ、満開を過ぎて散りかけ?って感じの頃に会うことに。
病気は順調に回復傾向です。今も両親は本当の病名は知りません。
元彼は、今は完治して元気に仕事しています。4月終わりに約束していたライブへ行きます。
初秋の彼は、今も迷路の中にいます。手を差し伸べることが出来たら・・・ と思いながらも
今は遠くの場所から見守っています。
最近、両親の車を廃車にして俺が乗っていた車を譲りました。
俺は新車を購入し、新たに借金をこさえましたw
会社の経営はカツカツですw それを両親は知っています。
俺に負担をかけると言っていましたが、両親もカツカツですw
俺が乗っていた車を譲り渡す前、その車を洗車しました。
何も言っていないのに手伝ってくれた父親。
昔は笑顔で話せる相手じゃなかったけど、今はお互い笑いながら話せます。
俺が家族に出来ること。それは言葉では言い表せられないけど、あえて言うなら
思いやり
これだと思います。
俺の人生は正直、褒められるようなものではなく、けして胸を張れるものでもありません。
でも誰もが出来るような体験ではなく貴重な体験・経験をして生きてきました。
まだまだここには書けない事が沢山あります。表立って書けないものがあります。
でも、それら全てが俺の過去で、俺が生きてきた証でもあります。
その一部がカミングアウトに繋がっただけであり、
カミングアウトをして良かったと思うこともあれば
カミングアウトをして、しまったって思うこともありました。
後先考えずにカミングアウトしていた頃
自分に自信が無くてどうしようもくて誰かに愛されたくて
たったそれだけでカミングアウトしていた頃。
あれは正直、バカなことだと思います。
独りよがりのカミングアウトは結果、何時か自分へ跳ね返ってきます。
それはどんな跳ね返り方をしてくるかはわかりません。
でもいえることは、カミングアウトは自分ひとりの問題ではないということ。
ノンケの友達にカミングアウトするのであれば
それから起きる二次的カミングアウトも想定しなければいけません。
その町に家族と住み続けるのであれば、家族を守る覚悟を持ってください。
安易にカミングアウトすれば、どうなるか、もう判りますよね?
誰が信用できて、誰が信用できないか
それはしてみないとわからないことです。
去る人も居れば理解を示してくれる人もいる。
貴方の周りに居る人たちをよく見渡してください。
信頼に値する人たちですか?
今の世の中、ゲイとして活躍している芸能人が居ます。
その人たちはあのキャラで売れたわけではありません。
ちゃんと下積みがあり、得てきた信頼があります。
それを観ずに「気持ち悪い」といい放つ人は信頼ならない人でしょう。
あの場に立つ人たちはゲイだからこそ判るバッシングを受けてきたはずです。
自分らしく戦ってきている人。それがオネェキャラとして活躍している芸能人です。
ただ、俺はオネェキャラで出ている芸能人を良しとは思っていません。
ゲイ全てがオネェキャラかと言うと、そうではないからです。
イメージが付いてしまえば 「えっ お前もあんな感じで話してる?」 といわれるに違いありません。
ゲイはゲイで同じでしょうが、あれはあくまでもキャラですからw
自分らしく生きること
それをカムアウトする人にちゃんと【体言で説明】出来れば
カミングアウトはうまく行くと思います。
ただし、全員が受け入れてくれる問題ではないことを頭に入れておいてください。
友へカミングアウトを考えている人へ
どんな結果になろうとも、自分の生き方を曲げないでください。
貴方が貴方でいる限り、いつか報われる日が来るはずです。
地元友へカムアウトするならば、二次的カムアウトも視野に入れてください。
そして家族を守る覚悟をしてください。
家族へカミングアウトを考えている人へ
ゲイであることを告白するのはとても勇気のいることです。
親は受け入れようと頑張ってくれるかもしれません。
でも、子供の幸せを一番に考える人たちです。
ずっとずっと貴方を心配し続けます。
親の愛情が重荷になるかもしれません。
もしくは向き合ってくれないかもしれません。
だけど、貴方は逃げないでください。
カミングアウトをしたら絶対に逃げないでください。
どんなに辛い思いをしても、逃げないでください。
親を愛する気持ちを、忘れないでください。
皆さんの周りにゲイ友は居ますか?
信頼できるゲイ友は居ますか?
カミングアウトもしないから恋人だけ居ればいい。
ひっそりとゲイとして生きていくからゲイ友は極力要らない。
そう思っている人は居ませんか?
もしゲイとして生きていくのであれば
恋人だけでは寂しい想いをしていきますよ。
おせっかいかもしれませんが、ゲイ友を作ってください。
一人でもいい、二人でもいいです。
ゲイの世界は友達が作りにくいといいますが、そんなことありません。
ノンケの世界と違って多種多様な友達が出来ます。
人は支えあって生きている生き物です。
だから、恋人以外にも、友達を作ってくださいね。
友達は、何時か貴方を助けてくれる存在になるはずです。
自分らしさをどう表現したらいいか判らないという人は
まずは自分と向き合ってみてください。
俺が心療内科に通っていた頃、教えてもらったのは自分との向き合い方でした。
自分に手紙を書き、日を置いてからその手紙に返事を書く。
その繰り返しで【自分】が見えてきます。
知らなかった自分を発見できる手立てになります。
長所や短所を言えるから自分を知っていることにはなりません。
自分が一番何を大切にしているか、自分の心にある優しさはどこから来るのか。
喜怒哀楽をどう表現しているのか、そして自分の性格。
それは自分にしかわからないこと。
自分らしさは、自分磨きではなく、己を知ること。
俺はカミングアウトをして本当に多くのことを学びました。
それはかけがえの無いもので、人生のプラスになりました。
ゲイとして生きることで素晴らしい友達に出会え、
互いを必要として認め合える間柄になりました。
人を愛することの素晴らしさと悲しさ、儚さを知りました。
そしてなにより、家族の愛情を知る切っ掛けになりました。
俺はカミングウアウト推奨派ではありません。
いろいろな人の考えをきき、自分で調べ、関連書を読み、
ご自分の考えをまとめてください。
それから、カミングアウトをすると決めたら、してください。
全ては自己責任。
独りよがりなカミングアウトをしないで
しっかり考えてくださいね。
これでカミングアウトの記事は終わりです。
読み進めてくださった皆様、本当に有り難うございました。
これからもcocoronagomuをよろしくおねがいします。
Shinichi
コメント
No title
kengoさんへ
余りにも壮絶な出来事… 俺は自分のことだからかそこまで壮絶と思ったことがありませんw まぁ少し人より苦労してるかなって程度ですw だからどんな言葉でも俺はありがたいなって思います。今回は内容的に重くなってしまったので、コメントいただき、有り難うございますm(_ _)m
kengoさんは母親にカムアウトしようと思って留まったんですね。カムアウトしないのが思いやり。確かにそうですね。そういう場合もあります。これからたっくさん親孝行してお母様を笑顔にしてください!!
俺はもっともっと沢山の人に読んでもらいたい・・・ とは思っていないので、今の訪問者数で十分だったりしますw だって、ノホホンとホノボノとやっていきたいですから(*^_^*)
ってぇダメですかねww
これからもどうぞよろしくおねがいします!!
kengoさんは母親にカムアウトしようと思って留まったんですね。カムアウトしないのが思いやり。確かにそうですね。そういう場合もあります。これからたっくさん親孝行してお母様を笑顔にしてください!!
俺はもっともっと沢山の人に読んでもらいたい・・・ とは思っていないので、今の訪問者数で十分だったりしますw だって、ノホホンとホノボノとやっていきたいですから(*^_^*)
ってぇダメですかねww
これからもどうぞよろしくおねがいします!!
はじめまして!
ゆーりといいます!
最近このブログを見つけ、カミングアウトの記事を読みました。
本当に辛い経験を重ねながらも、明るく生きているshinichiさんに驚かされ、勇気付けられました。
僕は、最近初めてカミングアウトをして、やっぱり難しいなあ、と思いました。今までと同じ関係ではいられなくなりますよね。
そのことや、これからのことに向き合えず、悩んでいましたが、shinichiさんの経験を読むと、そんなのちっぽけなことだなぁ、と反省させられました。
ありがとうございました。
これから、ちょくちょくお邪魔させていただきますね。色々教えてもらいたいと思っています。よろしくお願いします。
最近このブログを見つけ、カミングアウトの記事を読みました。
本当に辛い経験を重ねながらも、明るく生きているshinichiさんに驚かされ、勇気付けられました。
僕は、最近初めてカミングアウトをして、やっぱり難しいなあ、と思いました。今までと同じ関係ではいられなくなりますよね。
そのことや、これからのことに向き合えず、悩んでいましたが、shinichiさんの経験を読むと、そんなのちっぽけなことだなぁ、と反省させられました。
ありがとうございました。
これから、ちょくちょくお邪魔させていただきますね。色々教えてもらいたいと思っています。よろしくお願いします。
ゆーりさんへ
お越しいただきありがとうございますm(_ _)m
そしてカミングアウトの記事を全て読んでいただけたとのこと。
このblogでは珍しい 『暗い』 内容でございますが、有り難うございます!!
ゆーりさんはカミングアウトを最近誰かにされたようですね。
その結果、どうやら上手く行った訳ではないみたいですが
問題はその後どう接していくか、ですよね。
俺の経験は俺の経験だから、ゆーりさんの悩みがちっぽけだなんて思わないでください。
関係が修復できる可能性があるのであれば諦めないでくださいね。
これからも覗きに着てください!コメントも楽しみにしています。
そしてカミングアウトの記事を全て読んでいただけたとのこと。
このblogでは珍しい 『暗い』 内容でございますが、有り難うございます!!
ゆーりさんはカミングアウトを最近誰かにされたようですね。
その結果、どうやら上手く行った訳ではないみたいですが
問題はその後どう接していくか、ですよね。
俺の経験は俺の経験だから、ゆーりさんの悩みがちっぽけだなんて思わないでください。
関係が修復できる可能性があるのであれば諦めないでくださいね。
これからも覗きに着てください!コメントも楽しみにしています。
うむ・・・
読みました。
感想は書けないですね・・。
まっすぐ自分と向き合える勇気がかっこいいと思いました。
負けてられないなと。
感想は書けないですね・・。
まっすぐ自分と向き合える勇気がかっこいいと思いました。
負けてられないなと。
nadさんへ
長い長い物語を読んでいただき感謝です!
まっすぐ自分と向き合う勇気、かっこいいですか?
俺は向き合うことをしなくてはいけなかったので向き合ったまで。
病院でそう教わったからしていただけです。
多分これからもそうしていくんだろうと思うんですが
誰もが出来ることだと思うので、nadさんも自分と向き合うことが必要な時は向き合ってみてください!!
案外、簡単に出来たりするもんかもしれませんよ?
まっすぐ自分と向き合う勇気、かっこいいですか?
俺は向き合うことをしなくてはいけなかったので向き合ったまで。
病院でそう教わったからしていただけです。
多分これからもそうしていくんだろうと思うんですが
誰もが出来ることだと思うので、nadさんも自分と向き合うことが必要な時は向き合ってみてください!!
案外、簡単に出来たりするもんかもしれませんよ?
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俺も母親にカムアウトしようと思った事はあります。しかし、思い留まったのは、俺の母親はその悲しみとショックに耐え切れないと思ったからです。母親も言葉に出しては言いませんが、薄々気づいているのかもしれません。ただ、カムアウトしないのが思いやりと俺は今思ってます。俺は、嫁さんと孫の顔を見せてあげられない分、親孝行しようと思ってます。これからも、応援します。そしてもっともっとたくさんの人にshinichiさんのブログを読んで欲しいと思ってます。そして、最後に、shinichiさんを抱きしめたいという気持ちが強くなりました。